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仏教の豆知識


1.仏教とは?
2.仏教から来た言葉
3.彼岸とは?
4.お盆とは?


1.仏教とは?

ある時、釈迦は、仏になられ、取り巻く人から
尋ねられました。
「あなたは、一体どういうお方ですか?」
お釈迦様が、沈黙していると、
「神様ですか?」と尋ねられ、頭を横に振りました。
「天使ですか?」と尋ねられ、やはり頭を横に振りました。
「では、あなたは何者ですか?」と尋ねられた時、
静かに、一言
「私は、目醒めているものである。」と答えられました。

この自分と自分の周囲の世界が本当になんであるかに目醒めたひとを
仏といい、釈迦が、初めて仏になったのです。
この目醒めることを「悟る」とも呼んでいます。

仏教とは、我々に、
「自分とその周囲のあるがままの姿を知らせ、
その間に巻き起こる問題を適切に処理することを教えるもの」であります。
巻き起こる問題とは、
生まれながらにして人間にまつわる苦しみや悩みをさします。
これを簡単に処理できれば問題はないのだが、
自分の力や、ひとの助けを借りても解決できない場合があります。
こうした時に、我々は、初めて仏教に、
究極の救いと安心立命を求めるのです。

仏教には、このように「仏になる教え」と「仏の教え」の
両面が、ふくまれています。
前者は、「悟り」を究極の目的とする自力の仏教。
後者は、「救い」を究極の目的とする他力の仏教です。
「仏になる教え」は、
われわれに、誰からも、
いつでも、
どこでも、
後ろ指をさされないような、
堂々たる人間なることを教えています。
「仏の教え」は、
われわれに誰からも、
いつでも、
どこでも、
したわれるような、
あたたかみのある人間になることを教えています。


2.仏教から来た言葉

日常使っている言葉の中には、仏教由来の言葉が多くあります。

「安心」
( 心配がなくなって気持ちが落ち着く様子)
仏教では、「あんじん」と読みます。
信仰によって不安がないことから、変化しました。


「機嫌」
『機嫌がよい、悪い』などと今日では一般に使われていますが、
もともとは、『議嫌』と書き、仏教の教団が、世間の人々から、
そしられたり、嫌われたりしないよう、努力したことを、
表す言葉でした。


「相続」
「相続」とは、因果が絶えまなく繰り返されて続くことで、
念仏などを絶え間なく唱える意味です。
これが、変化して現在では、
家や財産の相続という使い方になりました。


「因縁」
「因」とは原因、「縁」とは、原因に働きかけることをさします。
仏教では、ものごと(結果)には、必ず原因(因)があり、
因に縁が加わって、ものごとが生ずると説いています。


「有頂天」
仏教では、人間界の上に、天界といって天人の住む世界があり、
その天界の一番高いところを、有頂天と言います。
『*有とは、迷いの世界のことで、そこの最高の天であること。』
このようなことから、現在では、得意の絶頂や、
喜びで夢中になること、思い上がることの意味に使われます。


「会釈」
本来は、仏教のいろいろな説をまとめるという意味。
それが、相手の立場を思いやる意味に変化し、
一般には、軽く一礼することをいうようになった。


「我慢」
本来「我にこだわり、おごりたかぶり他人をけなす」という、
悪い意味で使われていました。
自分中心になって、苦しみや迷い多い人生を、
苦しみとも迷いとも気づかずに過ごすという意味から、
今のような、苦しみにへこたれないという意味に変化しました。


「愚痴」
智慧の無いこと、ものの道理のわからないこと。
因縁、因果の道理をわきまえず、真実を見抜けないことが
もともとの意味です。

ものごとの道理が解らないので、不平、不満を並び立てたり、
ぼやいたりすることを「愚痴をこぼす」と言うようになりました。


「覚悟」
『覚悟を名づけて仏陀となす』といわれるが、
迷いを離れて悟りを開くこと。
仏の境地、悟りをいうのが本来であります。



3.彼岸とは?

彼岸とは、この世の迷い(此)の岸(現実の世界)から、
彼の岸(理想の世界)へ渡るという、梵語「パーラミター」
すなわち「到彼岸」という意味です。

今私たちが、住んでいる世界(此岸)には、
怒り・悲しみ・悩み・欲・罪などがあふれています。
なんとか、この世の世界から逃れて、理想の世界(彼岸)に
住みたいとは、誰もが思うことです。

春分と秋分の日は、昼夜の長さが同じ日ですので、
仏教で尊ぶ中道の縁を結ぶのに良い日とされています。
さらに春分と秋分の日ともに、
真東から出た太陽が浄土があるとされる真西に沈む日であることから始まった、
日本独自の行事です。

中国の善導大師は、
「弥陀の極楽世界は日の没する西方にあり、昼夜の長さが同じ
春分、秋分の日に西に向かって合掌念仏すれば、浄土に往生できる」
と述べています。

わが国でのはじまりは、延暦25年(806年)3月17日に
勅命により崇神天皇追善のために各地の国分寺で、
彼岸会の法要がおこなわれたのが、起源とされています。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるように、
季節の変わり目、節目として、
先祖に感謝報恩の気持ちをあらわす為に、
家族揃ってお墓参りをする習慣が、一般に広く伝わっていきました。
これが、現在の形です。
お彼岸には、お盆のような特に決まった行事や飾り付けなどはありません。
一般に中日かその前後に家族でお墓参りに出かけることが多いようです。
墓石をきれいに洗い、お墓の周囲も掃除して花や線香をたむけ、
お菓子などもお供えします。
そして合掌礼拝の前に水桶からたっぷりと水をすくい、
墓石の上からかけます。水をかけるのもお布施の一つです。


.彼の岸に到には?
お釈迦様は、彼の岸へ到るための六つの教、
「六波羅密(ろくはらみつ)」を示されました。
・布施:自分にして欲しいことを進んで人にし、人の役に立つこと。
・持戒:規律、節制のある生活をすること。
・忍辱:耐え忍ぶ事。
・精進:努力して励むこと。
・禅定:いつも心静かであること。
・智慧:我を離れ、真実をみつめること

モノが豊富にあふれ、日々変化していく現代生活の中で、
春、秋の彼岸の1週間、先祖を偲び、心の豊かさとは、
何かを振り返る、絶好の機会です。
「六波羅蜜」を実践しましょう。


4.お盆とは?

お盆という言葉は、インドの「ウランバナ」ということで、
これを訳すと「救倒懸盆」(ぐとうけんぼん)で、
盆に供養することによって、
逆さづりの苦しみを救うという意味になります。
生きた人を、逆さまにしてつるしあげることを、
倒懸苦といいますが、このような苦しみを受けているものを
救おうというのが、原語のウランバナです。
お釈迦様の弟子、目蓮が、神通力を得て、餓鬼道に落ちて
苦しんでいる母を救おうとし、鉢に飯を盛って食べさせようとしましたが、
供養の飯が口に入る前に火になって食べられません。
この姿を見た目蓮は、悲しみ、母の救いをお釈迦様におすがりしました。
すると、お釈迦様は、
「目蓮よ、お前の母の宿業は重い。たとえ考順の心が深くとも、
一人の力では救えない。
7月15日は、多くの僧が百日間の厳しい修行を終えて、
仏の教えを広める為、思い思いの方角に歩いていく日で、
大変功徳の多い日である。
この日に供具に百味五果の施しものをのせて、
お通りになる僧方におあげなしなさい。
多くの僧の力によって母は救われるであろう。」といわれ、
供養したところ、母は、餓鬼の苦しみから逃れられました。
これが、お盆の始まりと言われます。
7月15日は、あの世で迷っている魂が、お盆の供養をうけ、
浄土に行ける日だという、生きている者と死者との
心の交い合える日とされています。
ですから盂蘭盆の行事は、修行を積んだお坊様に
施しものをさし上げて、亡くなった方の魂を救うということが、
もともとの意味です。
一般には、7月13日(地方によっては、8月)は、
精霊棚をつくり、盆灯篭をかけ、夕べには門口に迎え火を焚いて、
亡き方の御魂を迎え、』14.15日の両日には、百味の飲食を供え、
お坊様を招いて棚経をあげ、
15日の夜又は、16日には送り火を焚いて霊を送る行事です。
*各地方・宗派により、詳細は、異なります。

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